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熙宗 (高麗王) : ウィキペディア日本語版
熙宗 (高麗王)[きそう]
熙宗(きそう、1181年 - 1237年)は第21代高麗王(在位:1204年-1211年)。諡号は仁穆誠孝大王。姓は王、神宗と靖和太后金氏の長子。妃は寧仁侯 王稹の娘、成平王后任氏。娘に高宗妃安惠王后、元宗妃慶昌宮主柳氏を生んだ嘉順宮主など。
==略年表==

*1181年 神宗の第1子として生まれる。
*1196年 崔忠献政権が成立(武臣一族・李氏を滅ぼして政権を牛耳る)→1219年に崔忠献は死去するが、1258年まで4代62年の長きにわたって続く。
*1197年 明宗を廃位、神宗を王位につける。
*1198年 開城、私奴、万積らの反乱。
*1198年 溟州(江陵)、東京(慶州)、陜州など各地で反乱。
*1204年 熙宗即位。
*1205年 崔忠献を晋康郡開国侯に封じる。
*1211年 崔忠献より政権を王濬明らと奪回しようと計画するも、発覚し廃位される。江華から紫燕島(現・永宗島月尾島から西北に2.5キロ)に流される。
*1215年 喬洞に移される。
*1219年 ソウルに迎えられる。娘・徳昌宮主と崔忠献の子・崔珹が結婚する。
*1227年 復位の企てがあるとして、崔瑀により追放される。
*1237年 法天精舍で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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